2009年11月17日

福井県敦賀市は人道の港

 サインズという創刊108年という雑誌がありますが、その2009年12月号に
「ここでしか伝えられないことがある」と題した特別記事が載っています。

 日本海に面した敦賀(つるが)港は古来より大陸諸国との交流拠点として繁栄
してきています。その敦賀港に平成20年3月29日、一つの資料館がオープンし
ました。

 それが、「人道の港 敦賀ムゼウム」です。ムゼウムとは、ポーランド語で資料
館を意味しています。

 なぜポーランド語なのか、それはこの敦賀の港に、遠くポーランドから孤児たち
が救出されてきたことに由来します。それは大正9年(1920年)から11年にか
けてのことです。

 また、昭和15年(1940年)から翌年にかけては、ナチスに追われたユダヤ人
たちもこの敦賀に上陸しました。

 杉浦千畝(ちうね)さんという、多くのユダヤ難民を第二次世界大戦時に助けた
日本の外交官の話はよく知られていますが、実は、この杉原さんがこのとき発給
したビザは、日本国内に一定期間滞在できる「入国ビザ」ではなく、日本を通過し
て目的地に向かうための、「通過ビザ(トランジットビザ)」でした。

 その通過ビザの経由地こそ、この敦賀だったのです。

 つまり、杉原さんの発行した通過ビザは、日本を通るビザで、ユダヤ難民たちは
この敦賀に上陸しなければならないことになっていたのでした。

 このように、敦賀は、ロシアによって祖国を滅ぼされたポーランド難民の孤児たち
や、ナチスに追われたユダヤ難民を助けたという二重の意味で「人道の港」と呼ば
れるようになっています。

 くわしくは、サインズ(〒190-0011東京都立川市高松町3-21-8 福音社 発行)
の22から27ページをご覧ください。

 では、また。  

Posted by 富田昭生 at 09:28Comments(0)