2007年09月28日

変わる勇気・変える勇気

 ラインホルド・ニーバーというアメリカの神学者の有名な祈りの言葉に、次のようなものがあります。

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我等に与え給え。変えることのできないものについては、それを受け容れるだけの落ちつきを与え給え。そして変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける智恵を授けたまえ」。

 物事には、変えることのできるものと、変えることのできないものがあります。

 変えることのできないものとしては、たとえば親子の縁や兄弟の縁のように、いくら勘当しようが絶縁しようが、親であり子であることそのもの、兄弟であることそのものは変えようがありません。

 また、変えることのできないものとしての、ある境遇を与えられそこに生まれてきた人間が、老いていき、そしていずれは死ななければならないという人間の死すべき運命も変えられません。

 しかし、変えることのできるものもあります。

 現実を変えることはできるでしょうか。今の事態を変えることはできるでしょうか。あるいは、体制という、すでになつかしい思いのする言葉で表現されるものは、変えることができるでしょうか。たとえば、今のミャンマーの体制や、北朝鮮の体制は、そしてこの日本の体制は?

 さらに、そもそも自分自身を変えることはできるでしょうか。自分自身が変わることは可能でしょか。

 ニーバーの言葉にあるように、変えることには勇気が必要であり、そしてまた、変わることには継続する志、意志が必要でしょう。

 それを逆にいえば、勇気があれば、また継続する志があれば、変えることができ、変わることができるということではないでしょうか。

 ただ、変えることのできないものを変えようと無駄な努力をするのではなく、変えることのできるものと、変えることのできないものとを見分ける智恵がなければならないし、また、変えることのできないものを受け容れなければならないときには、それを受け容れる平静な心が必要ということでしょう。

 今日は、ある会社の株主総会に出席して、ふとこんなことを思いました。

 では、また。

 

Posted by 富田昭生 at 21:37│Comments(0)
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